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「知価革命のヒント」“知財の伝道師” WIPO日本事務所長 澤井智毅 氏インタビュー(後半)

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-世界に目を向けてみると、知財の取組みが成功している国というのはどこだと感じますか?

米国です。駐在期間中も肌で感じていましたが、アメリカは知財を本当に重要な制度として議論している国です。企業のトップや政治家もそれは例外ではありません。この背景は、米国の憲法に知財条項が設けられていることとも関係いたします。アメリカ憲法では、米国の連邦議会が持つ権限-宣戦布告、課税、軍隊の創設-などと並んで発明や著作を特許や著作権などの排他的な独占権として保護しなければならないと定められています。建国の当時からそれだけ知財を重視する土壌が整っているのです。これらの土壌がエジソン、グラハム・ベル、ライト兄弟などの偉大なる発明家たち(Great Inventors)を生み出したのでしょうね。

知財を大事にする姿勢は企業のトップにも見えます。スティーブ・ジョブズもそうですし、アマゾンのジェフ・ベゾスも常々発明が大事だと言っています。Googleのラリー・ペイジは大学院生時代の1998年1月の検索技術の特許出願をきっかけに、同年にはGoogle社を設立し、今日に至っています。さらに、政治家も同様です。私がアメリカに赴任していた当時、特許制度改革の議論がはじまり、その後6年、50回を超える議会公聴会を経て、特許改革法として、米国発明法が成立します。すべての法案が議員立法の国ゆえ、議会での委員会審議はもとより、本会議においても、議員が自らの言葉で述べ、議員のみならず特許商標庁長官や企業幹部、大学幹部などの証人も含めて、自らの言葉で質問に答えていました。米国発明法の議会通過後の大統領による署名式もわざわざイベント化し、広く国民に伝えるほどです。日本の国民、産業界が考えている以上に、米国では、常に知財制度が一丁目一番地にある印象を持ちました。

加えて、アメリカは大学も知財にとても力を入れています。アメリカでは、政治献金などのロビーイングの活動費を簡単に調べることができます。大学の場合、2005年に特許法の改正に関する議論が始まってから実際に法律ができる2011年までの6年間、政治献金が有為に増加しているのです。高等研究機関でもある大学にとっても、ほかの事柄と比べて知財がより重要な位置にあるということの証左に他なりませんよね。

また、近年、中国も知財制度を重視していると感じます。一昨年には、習近平国家主席が知財の勉強会を自ら主催し、「知財保護とはイノベーションを保護することに他ならない」と述べています。また、昨年には、知財強国を作るための新たな15か年計画「知識産権強国建設綱要」を策定しました。中国は、計画を立案すると実現する国ゆえ、より知財制度が重視されるのではないかと感じます。

奇しくも米中が今国際特許出願(PCT出願)数で1位(中国)と2位(アメリカ)となっており、両国ともに、コロナ禍にあっても、PCT出願を増やしています。例えば、2020年はコロナ禍で世界経済が3.6%停滞したにもかかわらず、中国はPCT出願数が16.1%、米国も3.0%も国際出願を増加させています。2国とも間違いなく知財に力を入れている国ですね。

その国際出願数で言えば韓国が日本に次いで4位に位置付けられていますが、これにはサムスン、LGなどの飛びぬけた企業が知財を大事にしていることが背景にあると思います。サムスンやLGに行くとロビーには、特に大事にしていると思われる特許公報が飾ってあるんです。知財を大切にする姿勢の表れだと思いますし、発明をした研究者の方にとっては、発明の内容や図面とともに、自分の名前がロビーに飾られているというのは、この上なく士気が高まることだろうなと思います。

ですから、僕は人に会うと、会社に特許公報を飾りましょうと言っています。特許証も良いのですが、それでは発明者や技術の概要は分からず、発明本位とは言えませんから。韓国に限らず、米欧の企業も同様に特許公報を飾っています。アメリカの多くの博物館では、展示物の横に特許公報が置かれています。子供のころから、特許に親しんでいるのです。実際にWIPO日本事務所では、このような形で展示してはどうかという提案として、特許公報や意匠公報の展示を行っています。

-日本は、そのアメリカや中国などの世界と比べてどのような状況にあるでしょうか

日本はもともと知的財産が豊富な国だと思います。今世紀に入ってからのノーベル賞の受賞者数だってアメリカに次いで2位ですよね。例えば世界的に有名なドイツのデザイン賞のiFデザインアワードにおいても金賞の15%を日本がとっていますし、アメリカより歴史がある分、文学や地理的表示(G.I.)やフォークロアなどが優れた国だと感じています。ですが、その知的財産が活用できているかといわれるとそうとは言い切れない。

例えばWIPOが毎年発行しているイノベーションランキング(Global Innovation Index)では、最初の発行年(2007年)当時は4位だった日本もこの10年は25位から13位の間で推移しています。こういった観点から見るとやはりイノベーションを促す知的財産制度や権利の活用をしっかり進めていく必要があるんじゃないかと思いますね。

この日本特有の状況は権利に対する意識にあると考えています。多くの人が知財権を取ったらそこで終わりで活用まで考えていない。

私は、市場を確保する上で、知財権の最大の強みは差止請求権にあると考えています。場合によっては競合企業に警告状を発して、訴訟に進むという過程を経るわけですが、その究極的な権利行使の件数を見ると日本では年間200件程度です。アメリカや中国はそれぞれ数万件、100倍近い件数の権利行使がされています。こういった権利行使も数字で見ると差が歴然です。

また、独占だけではなく、連携するうえでお互いが持つものを提供しあうオープンイノベーションも必ずしも十分ではありません。ボードゲームのモノポリーを思い浮かべてもらえると分かりやすいですが、基本的に交渉して協力する人同士が成長していくんですよね。これは数学的にも証明されています。

ですが、日本では20年前から「自前主義からの脱却」が求められているものの、いまだ不十分なのか、今でも経産省のレポートなどで言われていますよね。互いに知的財産権を尊重し、オープンイノベーションが進むことを期待したいものです。

もちろん、日本もGlobal Innovation Indexで上位になる指標もあります。GDPあたりの特許件数ですね。つまり、権利の取得数はかなり多い。言い換えれば、権利を利活用する余地が十分にあるということです。クリエイティビティの世界では日本って進んでいて、自分たちが考えている以上に、それを世界が認めています。そこがちゃんと権利となって利活用できるところにまで至っていないというところが問題かもしれません。

-そういった課題を解決するために日本に必要な施策とは?

知財制度が、イノベーションやクリエーションに不可欠な重要な制度であり、互いに連携する上でも役に立つということを、広く日本の人々に理解していただくこと、知財の専門家だけではなく、中高大学生から、企業の経営層にいたるまで、その思いを持っていただくことが必要だと考えています。

その上で、WIPO GREENは一つの答えだと思います。WIPO GREENはWIPOが運営する環境保護技術のオープンイノベーションを促すプラットフォームです。知財を通じた連携を促し、SDGsや環境に貢献するものです。自社や自身の研究が知的財産権として尊重され、データベースにその詳細が載る。それを社会に提供する上で、足りない点は、他者の知財権で守られた技術で補う。皆がこれを行うことで重複的な研究や投資を必要とせず、環境保全が進み、社会に貢献する。知財権があれば、模倣をおそれ、協力に躊躇する必要もない。このように、円滑なオープンイノベーションには知財権が不可欠ですから、公益たる国際機関が行うオープンイノベーションのプラットフォームを、もっとたくさんの方々に知ってもらえるようにPRしていきたいなと思っています。

おかげさまで取組に共感いただくパートナーの企業や大学は増えてきました。ですが、パートナーを増やしたことは環境問題の解決のまだまだ入り口です。今後は、取組をさらに推し進めて、具体的なネットワークづくり、問題意識の共有、オープンイノベーションの事例づくりに力を入れていきたいなと思っています。

その他にも中小企業を知財で支援する、という点も重要だと考えています。まだ販路や工場を持っていない企業でも、いい技術があれば一気呵成に伸びていくということはGoogleやApple、dysonを見れば明らかなわけです。そういう意味で知財は中小企業支援の手段として本当にマッチしていると思います。そのため、私たちとしては、発明協会や日本商工会議所、地方の経済産業局などと連携しつつ、制度やWIPO施策の意義を伝えるようにしています。私が学識委員の一人として参加する日本商工会議所の委員会などでも、知財の重要性を企業の皆様にお伝えできればいいなと思っています。

率直に申し上げて、日本だと知財の価値が低いんですよ。例えばアメリカの方から聞いた話で、特許のポートフォリオの取引をするときに、その中にあまたある特許権の一件当たりの平均額が日本円にして3000万円近くだというんです。日本は特許にそこまでの価値を見出しているでしょうか。ここを解消して知財の相場観を上げなければ、イノベーションや破壊的技術への価値や関心も高まりません。では、世界では知財の相場観をどのように上げているか。世界で各国がトライしているのが知財を担保として資金の貸し付けを行う知財金融です。例えば中国では先ほど述べた15か年計画の中で2020年には日本円にして約3兆円を目標として知財担保融資を増加させることを発表し、実際には4兆円の実績があったようです。このように世界で知財をどのようにお金に変えているかという問題意識をもって、日本事務所としても調査・分析にあたっています。こちらも現状打開のための施策としていきたいですね。

-「知財の価値が低い」日本の現状を打破する今後の展望をお聞かせください

まず、一番のカギは「目利き」です。技術や将来に対する「目利き」、さらに言えば、将来や潜在的なユーザーの嗜好をも見通せる「洞察力」ではないでしょうか。これは日本だけの課題ではなく、世界でも共通の課題です。イノベート・アメリカと題された2004年の米国の競争力評議会のパルミサーノレポートでは、イノベーションとは「社会的、経済的な価値創造を促す発明と洞察との交差点」と定義しています。

莫大な研究開発投資を通じて生まれた破壊的技術やイノベーションがもたらす、大きな成功や時代の変化に日々気付かされます。一件当たりの知財の価値が高まるのは当然です。

日本では、経済が停滞して予算がひっ迫している状況だと国際出願は減っていきます。ですが、それによって国際出願が増加した国との数年後の国際競争力にはおのずと大きな差が生まれます。この危機感を企業のトップをはじめとする日本全体で共有しなくてはなりません。

コロナ禍になってからの一年間で、テキサス州では知財に関するオンライン裁判による判決が7件ほどあったようですが、その賠償額の合計が実に日本円にして5千億円程度だったそうです。一方、一昨年、日本では日亜が起こした特許訴訟で1憶3200万円の賠償判決が報じられました。対象となる権利はLEDに関するもので、その特許請求の範囲を見ますと、必要不可欠な構成のみからなる相当広い範囲でした。知財高裁もその価値を認めるためにエンタイア・マーケット・バリュー・ルールを適用するなど工夫をしておりましたが、1億数千万円との判決に落ち着いたようです。日本の現状の知財の相場観からすると妥当な判断なのでしょうが、相場観の日米の違いを如実に表しているものとも思います。

本当は知財にはすごく価値があって、弱きを助ける切り札、新陳代謝や国際競争の切り札となりうるということをもっと知ってほしいと思います。少なくとも海外、米国や中国はそれに気づいていて、だからこそ知財が一丁目一番地として議論がされているわけです。日本でももっともっと多くの人に、もっともっと知財のことを知っていただいてその重要性を「伝道師」として浸透させていきたいなと思っています。

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