「そして、知価社会がはじまった。」 “知財の伝道師” WIPO日本事務所長 澤井智毅 氏インタビュー(前半)

<略歴>
世界知的所有権機関(WIPO)日本事務所長、特許庁審査第一部長、第二部長、調整課長、国際課長、審査官、審判官、JETROニューヨーク知財部長等を歴任。特許庁では、特許制度改正、意匠制度改革、審査処理対策、国際制度調和等を推進。
現職にて、知財制度の普及啓発や国際出願制度の促進、日本政府や裁判所との連携に注力。日本商工会議所知的財産専門委員会学識委員。

―知財との出会いについてお聞かせください

大学は理科系だったので、もともとは国立の研究所に行こうと思って国家公務員試験を受けました。ですが、国家公務員試験に合格してから、研究者だけでなく「弱きを助け、強きを挫く」ための行政部門への進路も面白いと思いはじめました。

また、ちょうどその頃に堺屋太一さんの「知価革命」(1985年)という本がベストセラーになっていました。「工業社会が終わる、知価社会が始まる」という内容でしたが、これを読んだときに知的財産、知価こそ小が大に対抗できるツールになる、知的財産は将来的に非常に重要になると感じ、行政部門の中でも知的財産をあつかう特許庁の門をたたいたことが、知財との出会いです。そこで「弱い」人、弱くてもまじめな人を助ける知的財産制度に魅力を感じて以来、今に至るまで「知財の伝道師」として長年知財に携わる活動を続けています。

-1980年代というと「知的財産」自体の捉え方も今と異なりますよね

当時は知価革命という言葉が生まれたばかりで、「知」の価値がまだ十分に浸透していなかったと思います。「無形資産」という言葉やそれに投資するという概念もあまりなかったですね。学生時代、同じ研究をしていたフランス人留学生からは、「智毅はこの研究成果をいくらで企業に売るの」と聞かれた時は、驚いたものです。

「知価革命」を読んで、私も何となく工業社会から大きく切り替わるんだなあと感覚的に感じていました。トフラーのいう「第三の波」が来たんだという方もいたような気がします。

これはよく覚えているんですが、当時Innovationという言葉を皆が使い始めたんです。私はこの時InnovationとInventionがきっと関係があると思ったんですよね。「同じ“In”から始まるんだから」なんてこじつけもしながら調べてみましたがどの本で読んでもそこまでは書いてない。「発明(Invention)」という言葉自体が当時の日本のアカデミアや政府ではあまり使われていなかったため発明・イノベーションと知的財産権は必ずしもつながっていなかったんじゃないかと思います。もちろん当時から気づいていた方はいらっしゃったと思いますが、日本全体としては意識が希薄でしたね。

2004年、アメリカの商務省がBetween Invention and Innovationというレポートを出しており、基礎研究ともいうべき上流に発明が、応用研究ともいえる下流側にイノベーションが置かれ、その間に大いなる死の谷があるとの説明を見て、私が80年代に感じていたInnovationとInventionの間には強い相関があり、その相関を繋げることが重要なのだとの考えに誤りがなかったのだとすごく嬉しくなりました。

-特許庁に入庁されてからはどのような業務に?

特許庁に入ってからはいろいろな業務を経験させていただきました。審査官や審判官、訴訟も経験し、主任指定代理人として担当した案件は負けていません。均等論を用いて起案した判定書は、今でも税関の研修に使われているとのお話も税関の方からいただきました。私の自慢です。その後、特許庁の国際問題の責任者になったり、特許審査部門の責任者になったり…アメリカに駐在したこともあります。滞貨の解消のため、特許審査官の大幅な増員も実現しました。また、また、特許だけでなく意匠についても担当させていただいて、先の令和元年意匠制度改革も先導させていただいたと自負しています。

みなさん特許への意識が強いのか、庁内でも庁外でも意匠制度に対する見直しの声はあまり大きくなかったですね。ですが、私自身が消費者の立場から見ても意匠制度、デザインはとても大事だと感じていましたし、意匠制度で保護されていないものが大変多いことに気づきまして、保護範囲の拡大のための制度改革を主導させていただきました。

その後、今度は国際的に知財がまだまだ十分に認知されていないな、と思い、WIPOに来させていただきました。日本でも「知財は大事と言ってくださる方」は増えましたが、まだまだみんなが知財を知っているわけではないので、それを伝えていきたいなと。そういう意味でも先ほど言った「知財の伝道師」を真剣に目指しているところです。

-建築物が保護対象となったこと、印象的でした。意匠法の令和元年改正の経緯をお聞かせください。

日本も含め世界の多くの著名なデザイナーに、多くの建築家の方々がいらっしゃいます。それにもかかわらず、日本の意匠法は建築物を対象としていなかった。デザイナーとして尊敬されている建築家が手掛けるデザインが意匠法の保護の対象とならないのはおかしいですし、まして、アメリカですと自由の女神ですら意匠登録されています。また、特許の世界では、特許の対象は、「Anything under the sun that is made by man」との米連邦最高裁の判例もあります。要は、人類がお天道様の下で創作した全てのものが特許になりうるという考え方です。

主要国では、意匠保護も広いのです。改正にあたって、建築家の皆さんはこのアイディアをどう思うのだろうと思い、大きな建設会社や著名なデザイナーにお話を伺いました。私の好きな球場の一つ、どのエリアにも回廊を通じて移動できる開かれた球場、広島のMAZDA Zoom-Zoom スタジアムを設計した仙田満先生も訪ねて趣旨をお話したところ、大賛成をしていただきまして、方向性の正しさを確信しました。

また、スマホをはじめとした多くの機器のユーザーインタフェース(UI)につきましても、保護の制約がありました。そこで、同じ思いから、多くのデザイナーや主要企業のデザインの責任者の方々にもヒアリングをさせていただき、同様に保護の範囲を拡げさせていただきました。今でも、こうした多くの建築家やデザイナーの皆様と懇意にさせていただいております。

-WIPOとWJOの機能と位置づけについて教えてください。

まず、WIPOは国連の専門機関の一つです。古くは1985年くらいから議論が始まった-そしてまだ決着がついていない-制度の国際調和の議論、すなわちハーモ条約の議論ですとか、そういった国際ルールを加盟国とともに作る機関というのが一つの側面です。

もう一つの側面としては国際出願をつかさどる機関です。PCT、ハーグ、マドリッドプロトコルですとかそうした制度の運営、管理、登録事業も行っています。

さらにPatentscope、特許庁が運営するJ-PlatPatの世界版ともいうべきデータベースの運営も行っています。ここには知財に関する世界中の1億件以上のデータを集めて見やすく検索できるようにしています。大変に使いやすく、日本語での利用も可能です。

あとは途上国の支援ですとか、WIPO GREENなどの地球規模課題の解決・環境課題についても貢献するための活動も行っています。

特に、WIPO日本事務所(WJO)では、次の4本柱に力を入れています。

○知的財産制度やイノベーションの啓発

○大使館的役割(日本政府や裁判所、産業界との連携・橋渡し)

○WIPO GREENや国際出願制度のプロモーション

○途上国への日本の知財経験の発信

-日本政府や裁判所との連携というと?

例えば、環境保全政策ともいうべきWIPO GREENについて、特許庁や外務省と施策の普及やジュニアプロフェッショナルオフィサー制度(JPO)を通じた人的支援に努めています。また、著作権制度の視点からは文部科学省、知的財産教育やWIPOグローバルイノベーションインデックス(GII)の普及に向けて内閣府知的財産戦略推進事務局、中小企業向け施策では経済産業省や地方経産局、更に種苗法や地理的表示の観点からは農林水産省との連携にも努めています。

加えて、例えば東日本大震災追悼復興記念式や内閣葬などの日本国政府主催の各種行事への参加や各国大使館との懇親なども、在外公館に近い役割なのかなと思います。

裁判所との間で言えば、制度の海外普及の視点から、日本の知財判決の発信を促すなどの活動をしています。日本の優秀な裁判官の皆さんが書いた判決に世界の皆様も興味があるはずです。それを日本語だけで、日本人しか見られないようにしておくには惜しいですよね。WIPOで知財判決のデータベースを持つという話が出たことを機に、知財高裁所長や最高裁に、ぜひ日本の判決をこのデータベースに載せましょうと働きかけました。英語のデータベースなので、判決を誰が英訳するのか、その正確性を誰が担保するのかというところも含めて、裁判所側にも当初躊躇があったと思うのですが、最終的にはOKを頂きました。これも日本の経験の発信です。

-日本の情報を途上国へ発信する活動についても教えてください。

日本は、140年近く前に特許制度を導入した知的財産先進国でもあります。明治期の殖産興業や戦後の高度経済成長を支えて参りました。日本企業の知財を通じた成功体験は、アジアをはじめとした新興国や途上国の方にも関心を持っていただけるものと思い、プロモーションビデオのような形で発信するという取り組みを行っています。例えば日本商工会議所からご紹介いただいたOPTiMさんというDX時代に相応しい企業の社長ともお会いして、ご活躍の様子をビデオ化しているところです。

知財の啓発で意識しているのは幅広く知財を知ってもらうことです。こと日本では知財は専門家に閉じたものと思われがちです。ですので、中高大学の学生さんや企業のトップ、大学のトップなど様々な立場の方と出会って幅広い層に知財を広める活動を積極的に行っています。小中高生や大学生向けに、知財への関心を持ってくださった女性アナウンサーの方からインタビューを受ける形で、知財制度のわかりやすいエピソードや歴史、将来への期待について述べたビデオも作りました。私たちのホームページでも公開していますので是非見ていただきたいものです。英語字幕も付しました。

WIPO GREENの日本のパートナー数がこの2年で一気に6倍に増えて、世界で最も多くなったのですが、大企業や中堅企業、大学を問わず、トップの方々と会ってお話をすると必ず「いい制度ですね」とおっしゃってくださいます。トップの方々とお話しすることは知財やWIPOのプレゼンスを高めるきっかけの一つにもなっていますね。

-OPTiMさん以外ですと、どのような企業さんが知財を活用しているとお考えですか?

もちろん、多くの企業が知財制度を活用していただいているものと思いますが、企業トップが自身の言葉で知財を語られる企業といたしますと、まずは日亜化学さんが浮かんで参ります。日亜には権利を取得するだけでなく、それを市場戦略に活用するという発想があります。LED素子というコモディティ化が進みやすい技術分野において、はじめのうちは積極的に排他的独占権を行使して、他国の競合企業の世界市場への参入や模倣を排除しつつ、市場が成熟し、他企業の技術力も向上し始めますと、その中でも特に重要と考えられる外国企業を選び、その企業との連携を進める。それにより、他の企業の台頭やコモディティ化を抑え、長い期間、世界市場をけん引されてきました。そして、その知財を通じた成功は、徳島県阿南市という人口7万人の地方都市の雇用と社会資本の整備にも寄与した良い事例だなと思います。

あとは半導体エネルギー研究所さんです。社長自らが「世界で最も多くの特許権を取得した発明家」としてギネスブックにも登録されています。私自身が米国駐在員であったころ、米国における知財訴訟や行政手続きの現状や課題、そして米国制度のユニークさを直接に教えてくれた方です。R&Dの拡大のために、ライセンスをはじめとした特許の戦略的活用を、トップ自らが強く意識されている企業です。日本の経験を世界に発信するとの思いからも、同社の社長とのインタビュー記事を、季刊誌であるWIPOマガジン誌に掲載する予定です。英語のみならず、日本語も含めた世界8か国語で発信する予定です。

こちらは前半となります。
後半はこちら>(次週公開予定)

WIPO日本事務所のホームページ:https://www.wipo.int/about-wipo/ja/offices/japan/

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